出産記録【2018.10 第一子】

出産の痛みと記憶はすぐ薄れていくと聞くので、自分用にメモしておこうとおもう。

 

10月中旬、予定日を3日ほど超過した日の健診で、予定日5日超過までに陣痛がこなかったら入院して陣痛促進剤を使いますと言われる。ちなみに、子宮口は全く開いていなかったので、それまでに子宮を柔らかくする薬を二回ほど注射投与しているが特に効果は無かった。

 

なんとなく陣痛促進剤はつかいたくないし、自然陣痛きてほしいけど、でも出産の痛みが怖いからできるだけ陣痛くるのは遅くなってほしい。でもでも予定日越えてるし、早く産まなきゃという焦りも。予定日二週間前からは1日6000歩は歩くようにしていた。

 

出産前日寝る前、なんとなく明日産む気がした。私のこういった予感は大体当たらないのだが、今回だけはたまたま当たった。明け方五時頃、生理痛のような痛みで目覚める。これたぶん陣痛?陣痛だよね?と思いながらトイレへ行くとおしるしが。陣痛と確信。

まだまだ余裕なので、とりあえずアプリにて陣痛間隔をはかり始める。8~10分間隔。

8時台に一度だけ三分間隔の時があったので、一応産院に電話。定期的に五分感覚になったらまた電話くださいと言われる。自分としても余裕があったのでそうだろうなと納得。

 

11時台に陣痛が少し遠のく。10分以上が数回。

 

お昼はデリバリーでトンカツ弁当。今日産むだろうから体力を付けないととガッツリメニューにした。

また、このタイミングで排便もした。いきんでいる最中に粗相はしたくないから、これは本当にタイミングが良かった。

 

【12:30】

トンカツ弁当を食べて、30分後ほどして、陣痛が最大の生理痛+α程度になってくる。我慢はできるが未知の痛みに入ったので、産院に電話。間隔は五分で安定している。

産院へ行く気満々だったが、電話にでた助産師さんに「まだ声に余裕があるから平気です。三分台が出てきたら、産院にきてください」といわれる。声に余裕があるのは陣痛の波が来ていないときに電話しているんだから当たり前じゃないか!と思ったが、今になっておもうとあの時はまだ絶対に産まれない状態だった。助産師さんの判断は正しい。

(家から産院までは五分程度の距離なので、通常よりも指定された来院タイミングは遅めかもしれない)

 

【15:00】

二時間我慢したものの痛みの質は変わらない。が、三分間隔が二回きたので我慢できず産院へGO。陣痛タクシーに電話をすると、事前登録しておいたので、住所などを言うことなく非常にスムーズに配車された。歩くと陣痛が進むと聞いていたので、歩こうかと一瞬思ったが、歩かなくて正解だった。タクシーで産院に着いたときには、一段階痛みが増していた。

 

【16:00】

産院ではすぐ分娩室に通された。陣痛部屋でなかったのは、その日の出産が少なかったからか。子宮口は二センチ程度。生まれるのは明日になると思いますと言われる。陣痛の波がわかる紙を見て、テンションがあがっていた。まだまだ余裕。本番がこの痛みなら耐えられるし、平気そうだなと思っていた。

また、このとき血糖を測定される。高めの数値が出て、昼になにを食べたか聞かれ、トンカツと答えると驚かれる。恥ずかしい。

その後、時間が経ってもう一度測定したときには、血糖値正常だった。血糖値が高いと、投与できない薬や処置があるらしい。

 

【17:00】

1時間ほど経つと、一気に痛みのレベルがあがる。なにかにすがらないと耐えられない痛みに、出そうな感覚が加わる。いきみ逃しスタート。子宮口は8センチほどになり、今日生まれます、と助産師さんが出産予定を訂正してくる。

いきみ逃しにテニスボールかゴルフボールが有効だときいていたので、ゴルフボールを持ってきてもらったが、効いたのは初めだけで子宮口8センチレベルの時はすでにそんなことでは気も紛れなかった。他の人の出産レポを見ると、夫や助産師さんにボールで会陰をおしてもらってたようだが、私は自分で押した。他人に、どこどこをおして!と指示する余裕がなかったから、自分でやった方が良かった。

夫には水飲ませマシーンになってもらった。声かけられたり、さすられたりしたら、ぶち切れてはねのけてしまいそうだったので、ほとんどなにもしないでいてくれて有り難かった。

それまで苦しくても声は出していなかったが、この段階になると声を出さずにいられない。獣としかいいようのない声がでる。それを聞きながら人間ってやっぱり動物なんだよな、と冷静に思う自分もいた。

私だったら他人のあんな声聞きたくないから、出産には立ち会いたくないなと思った。

 

【18:00】

子宮口全開。あと15分で生まれるよ、といわれいきむも、まったく赤子がおりてこない。しばらくすると、私の腹を押す係の助産師さんがあらわれる。あかちゃんを下に押し出すために、いきみと同時にお腹をおすからね!と言われた。これが地獄の痛みだった。事前に聞いてたのはいきみ逃しが痛みのピークで、産むときは意外と痛くないということだったのに、こっちのが全然痛い!嘘つき!と、だれにかわからないが心の中で悪態をつく。

だが、押されても出ない。まったくでない。会陰もさらっと切られた。それでも出ないから追加で切られた。この状態が一時間くらい続いたらしい。らしいというのは、記憶がないからだ。痛すぎて意識が飛んでいた。

 

次に意識が戻ってきた時は、産まれていた。「産まれましたよ!」という助産師さんの声で我に返った。だから私には子供を産んだときの感覚はない。ずるっと出る感覚があると言うが、それはその後の胎盤排出で味わった。

私は見ていないが、産まれた子供はへその緒がぐるぐるに巻き付いていたらしい。首に二回、胴体に一回。これが原因で降りてこな

ったとのこと。

 

産まれた子供を気にかけるよりも、終わった安堵感だった。服を着せられた息子を助産師さんが抱かせてくれたけど、涙が出たりとかえもしれぬ感動はなかった。瞼が腫れてエイリアンそっくりだけど、大丈夫かなこの子とおもった。子を抱くのもそこそこに親や友人にラインを片っ端から送る。子供が産まれたことよりも、頑張って産んだ私の話を聞いてほしかった。海外のインスタで、生まれたての新生児を尻目にスマホをいじる写真が話題になっていたが、私も似たようなものだったはずだ。

(母子同室で同じ時間を過ごし始めてから徐々に子供がかわいく思えてきたので、私の場合自分で産んだことよりも一緒に過ごす時間の有無で母性がでてきたような気がする)

 

分娩台で二時間ほど休ませてもらったあと、個室への移動となる。前述の通り、産んだ直後からラインや電話をして、とくに疲労感を感じていなかった私は、いつもとかわらない足取りで個室へ向かう…はずだった。立ち上がって二歩歩いて貧血症状。トイレで尿がでるかを確認しますといわれ、便座に座ってそのまま意識を失う。助産師さんの呼びかけで目を覚ます。そのまま三歩歩いてまた気を失う。分娩台に戻されて、さらに二時間休んでましょうねといわれる。出産の際に出血があるので、貧血はままあるらしい。

 

二時間後、無事個室へ。夜の十時くらいだったので、そのまま就寝。子供はナースステーションに預けてある。直ぐ眠れるかと思いきや、びっくりするほど目がさえて眠れない。アドレナリンがでまくっているらしい。結局二時間も寝れなかった気がする。

次の日から母子同室開始。

 

とりあえず、ここまで。

やっぱり痛かった。もの凄くいたかった。私の場合は陣痛より産むときのがつらかった。本陣陣痛からは7時間ほど(12時前までは前駆陣痛だったとのこと)だったので、初にしては間違いなく安産ということだったが、あれが安産なら難産だったら死んでた。本当によかった。

産むときの痛みは直ぐに忘れてしまうといけど、ほんとうにそうなんだろうか。二ヶ月の今、まだ覚えている。できればもう経験したくないなあ。男女平等の時代なんだから、早く男が出産できる技術を開発してほしい。